第21回動物園前サイエンスカフェ 『これでいいのか? 地震動予測』
穏やかな行楽日和となった10月15日、サイエンスカフェ会場の動物園前1番街イベントスペースも、午前中は地域の介護の講習会、午後はサイエンスカフェとフル回転となりました。

今回の話題提供は、若狭ネット資料室長の長沢啓行さん(大阪府立大学名誉教授)。原発の再稼働に関わって、最近原子力規制委員会で問題になった「地震動予測」について解説していただきました。「地震動予測」は、「地震予知」とは全く違うものです。地震予知は、どれくらいの大きさの地震が何時何処で起るかを予測するもので、原理的に困難ですが、地震動予測は、ある規模の地震が発生した時に、その地域でどのような揺れが起こるかを予測するもので、地層が分かっておれば、一定の確かさで科学的に予測できるものです。
長沢さんは阪大の学生であったころ、発電機のタービンへ送る水蒸気から水滴を取り除く研究テーマを与えられましたが、その温度設定が350℃と低いことから、実はそれが原発仕様であったことを知ったそうです。そのままその研究を続けていたら、原発推進の研究者になっていたかもしれないとのことでした。
サイエンスカフェでは、はじめに、1995年の阪神淡路大震災の写真を見せていただきました。もう21年前のことなので、参加の学生たちには生まれる前のこと。しかし、全国の地震観測網が整備されたのはその後のことなので、日本の地震観測データの蓄積はたったの20年しかないとのことでした。地球は、人間に比べれば、気の遠くなるくらい長い時間スケールで変化しています。20年はあまりに短く、地球にとってみればほんの一瞬でしかない。
良く知られた建物の倒壊の写真もありましたが、一番衝撃的なのは、高層住宅の幅40cm肉厚5cmもある鋼鉄の柱が水平に、しかも完全に剪断されている写真。なぜ地震波でこのように鋼鉄がちぎれてしまうのかは、未だに不明だそうです。実験室で再現しようにも、装置が壊れてしまうような力であるから難しいとのこと。

振り子を使った地震動の応答スペクトルの演示実験をする長沢さん
長沢さんは、関東大震災の記録をもとに、地層により揺れ方が違い、その結果倒壊する建物も違ってくることを示しました。固い地層の山手では土蔵が倒壊したのに、堆積層の下町では木造家屋が主に倒壊したそうです。地震波は広い周波数の成分からなっていて、固い地盤では周期の短い振動が減衰しないまま伝わるので、硬くて短い固有周期をもつ土蔵が山手で崩れることになりました。2011年の東日本大震災でも、一番大きな地震波の成分は、その周期が0.5秒以下でした。大阪では、非常にゆっくりとした大きな揺れとしてだけ体感されましたが、硬いプレートの直上では、実は、短周期の非常に大きな揺れが起こっていました。もしかすると地震動の本当の主要な成分は、東日本にいても速すぎて人間には感知できていなかったのかもしれません。
原発の巨大原子炉は、分厚く硬い壁を持つ建屋にしっかりと固定されているので、その固有周期は0.02~0.5秒と非常に短く、普通の大きな建物とは全く違う構造物です。つまり、原子炉建屋の耐震性は人間の日常感覚で想像してはいけないのです。長沢さんがある討論会で原発耐震設計の専門家にそのことを指摘すると困惑して黙り込み、翌日の別の講演会の後で記者から質問されたこの専門家は、原発は固い地盤に作らないほうがよいと説明したそうです。本当は指摘されるまで、気づいていなかったのかも。
そして、話題は地震動予測に。原理的には、すべての断層や地質が分かっていれば、正確な地震動予測ができるはずですが、実際には地表に現れていない断層が多い上に、本格的な地震観測網が整備されるようになってわずか20年で、データの蓄積も少なく、今なお非常に不確かな予測しかできません。そのため、仮に震源となる断層が特定されていても、過去の記録から平均像として予測される地震動の大きさは不確かさをもっていて、長沢さんは、平均値の2倍程度の大きさになっても何の不思議もないことを、観測データのばらつきから示しました。
また、昨年来、島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理が主張しているように、地震動予測に使われてきた入倉式と呼ばれる手法が、日本の地震に対しては過小評価になることが、最近分かってきたことも示されました。この結果、日本中の何処でも、原発の耐震設計を越える、つまり稼働中に壊れてしまう大きさの揺れをもたらす地震は、決して起こりえないことではないという結論になります。長沢さんは、この間の原子力規制委員会の迷走は、現在の委員会に地震動予測を評価できる委員がいないことによると指摘しました。
最後に参加者から、廃炉のための莫大なコストを考えると、もはや決して安くない原子力発電にしがみつく理由はさらさらないはずなのに、なんで再稼働なんだろう?と言う疑問が、出されました。

今回の話題提供は、若狭ネット資料室長の長沢啓行さん(大阪府立大学名誉教授)。原発の再稼働に関わって、最近原子力規制委員会で問題になった「地震動予測」について解説していただきました。「地震動予測」は、「地震予知」とは全く違うものです。地震予知は、どれくらいの大きさの地震が何時何処で起るかを予測するもので、原理的に困難ですが、地震動予測は、ある規模の地震が発生した時に、その地域でどのような揺れが起こるかを予測するもので、地層が分かっておれば、一定の確かさで科学的に予測できるものです。
長沢さんは阪大の学生であったころ、発電機のタービンへ送る水蒸気から水滴を取り除く研究テーマを与えられましたが、その温度設定が350℃と低いことから、実はそれが原発仕様であったことを知ったそうです。そのままその研究を続けていたら、原発推進の研究者になっていたかもしれないとのことでした。
サイエンスカフェでは、はじめに、1995年の阪神淡路大震災の写真を見せていただきました。もう21年前のことなので、参加の学生たちには生まれる前のこと。しかし、全国の地震観測網が整備されたのはその後のことなので、日本の地震観測データの蓄積はたったの20年しかないとのことでした。地球は、人間に比べれば、気の遠くなるくらい長い時間スケールで変化しています。20年はあまりに短く、地球にとってみればほんの一瞬でしかない。
良く知られた建物の倒壊の写真もありましたが、一番衝撃的なのは、高層住宅の幅40cm肉厚5cmもある鋼鉄の柱が水平に、しかも完全に剪断されている写真。なぜ地震波でこのように鋼鉄がちぎれてしまうのかは、未だに不明だそうです。実験室で再現しようにも、装置が壊れてしまうような力であるから難しいとのこと。

振り子を使った地震動の応答スペクトルの演示実験をする長沢さん
長沢さんは、関東大震災の記録をもとに、地層により揺れ方が違い、その結果倒壊する建物も違ってくることを示しました。固い地層の山手では土蔵が倒壊したのに、堆積層の下町では木造家屋が主に倒壊したそうです。地震波は広い周波数の成分からなっていて、固い地盤では周期の短い振動が減衰しないまま伝わるので、硬くて短い固有周期をもつ土蔵が山手で崩れることになりました。2011年の東日本大震災でも、一番大きな地震波の成分は、その周期が0.5秒以下でした。大阪では、非常にゆっくりとした大きな揺れとしてだけ体感されましたが、硬いプレートの直上では、実は、短周期の非常に大きな揺れが起こっていました。もしかすると地震動の本当の主要な成分は、東日本にいても速すぎて人間には感知できていなかったのかもしれません。
原発の巨大原子炉は、分厚く硬い壁を持つ建屋にしっかりと固定されているので、その固有周期は0.02~0.5秒と非常に短く、普通の大きな建物とは全く違う構造物です。つまり、原子炉建屋の耐震性は人間の日常感覚で想像してはいけないのです。長沢さんがある討論会で原発耐震設計の専門家にそのことを指摘すると困惑して黙り込み、翌日の別の講演会の後で記者から質問されたこの専門家は、原発は固い地盤に作らないほうがよいと説明したそうです。本当は指摘されるまで、気づいていなかったのかも。
そして、話題は地震動予測に。原理的には、すべての断層や地質が分かっていれば、正確な地震動予測ができるはずですが、実際には地表に現れていない断層が多い上に、本格的な地震観測網が整備されるようになってわずか20年で、データの蓄積も少なく、今なお非常に不確かな予測しかできません。そのため、仮に震源となる断層が特定されていても、過去の記録から平均像として予測される地震動の大きさは不確かさをもっていて、長沢さんは、平均値の2倍程度の大きさになっても何の不思議もないことを、観測データのばらつきから示しました。
また、昨年来、島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理が主張しているように、地震動予測に使われてきた入倉式と呼ばれる手法が、日本の地震に対しては過小評価になることが、最近分かってきたことも示されました。この結果、日本中の何処でも、原発の耐震設計を越える、つまり稼働中に壊れてしまう大きさの揺れをもたらす地震は、決して起こりえないことではないという結論になります。長沢さんは、この間の原子力規制委員会の迷走は、現在の委員会に地震動予測を評価できる委員がいないことによると指摘しました。
最後に参加者から、廃炉のための莫大なコストを考えると、もはや決して安くない原子力発電にしがみつく理由はさらさらないはずなのに、なんで再稼働なんだろう?と言う疑問が、出されました。
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